国民経済



我々はGDPが増大すると格差は開くのが当たり前だと思っているのではないだろうか。では、日本の高度成長期の一億総中流社会は何だったのか。誰もが平等に教育を受けることができ、安い治療費で病院にかかることができ、老後は年金がもらえる社会。地上で唯一成功した社会主義国といわれた日本。その当時の国家指導者たちの政策の根底にある考えを知るために昭和42年に出版された「国民経済―その歴史的考察」(大塚久雄著/弘文堂)を読んでみた。この本の中で著者は18世紀前半のオランダとイギリスのその後の経済発展に差が生じた理由を解説している。
「当時のオランダ共和国の繁栄を支えていた産業構造は、何よりもまず、他国の物産を輸入して、それを別の国に輸出するという、そうした国際的中継貿易のシステムを基軸として組み立てられているものであった。(中 略)このことは当然に次のような結果を生むほかはなかった。第一に、経済繁栄の基幹的部分は、広汎な(とくに農村の)勤労民衆の営みから切り離されたところで、むしろ他国の経済循環に絡みこんでいるような、独自な国際的循環をなし、勤労民衆の経済生活は、おのずから別個の従属的循環を形づくる。つまり、二重構造である。そして、これに照応して、都市に中心基盤をもつ商工業の繁栄はたえず勤労民衆のはるか頭上をとおりすぎていき、その結果、とりわけ農村の勤労民衆は恒常的に貧困の中に取り残されているほかはない。(中 略)第二に、こうして全経済の基幹をなす循環そのものが、根底から対外依存的であるため、おのずから他国の経済状態と利害の如何によって決定的な影響をうけざるをえない。つまり、産業構造としてみれば、国民的自立の喪失であり、そしてこれが、当時の見せかけの繁栄にもかかわらず、やがて国際的競争上裏におけるオランダの敗北、したがって経済的衰退をよびおこす原因となるにいたったことは周知のとおりである。」(P141~144 より引用)
「イギリスの全経済を支える基幹は、何よりまず、当時のイギリスの勤労民衆自身の営みのうちに深い根底をもち、したがって広大な国内市場の土台の上にうちたてられていた。富裕な農村と、とくにその農業から流れでるゆたかな購買層を起点として、それに見合うさまざまな工業生産者たちの営みが繁栄し、それらが相互にゆたかな市場を提供しあうことによって、国内商業がさかえる。そして、それらすべての絡みあいのうちから出てくる国民的生産余剰、つまりいわゆる国民的産業―その典型は毛織物工業―の生産物の輸出を基軸として貿易のシステムがうちたてられる。そういう構造的順序であった。(中 略)したがって対外貿易は、たとえば国民的産業(中 略)たる毛織物工業の余剰製品を輸出して、自国内では生産しがたい必需の工業原料や貨幣素材(金・銀)を輸入するというふうに、国内の分業関係の避けがたい不均衡を是正するという関連を軸に展開され、したがって、いわば自立的な国民的産業構造に対して補充的ないし附随的な地位に立つものであった。」(P144~146より引用)
要は自立型の国民経済を形成したことにより、その後産業革命を達成したイギリス、中継貿易に重きをおき国民経済を形成できず没落したオランダということである。
読了して別の一冊、「幸せの見える社会づくり」(赤石義博著/中小企業家同友会全国協議会)のことを思い出した。ただ、読んだ当時はあまり頭に入ってこなかったが、この本のサブタイトルは~「地域力経営」を深め「中小企業憲章」制定へ~ということなので今なら少し理解しやすいのではないか。赤石さんの考えの根底には、大塚史学の考えが根付いているのでは?と勝手に想像した。