FC今治里山校見学

2025年11月17日(月)13:00からジョープラにて「人を大切にする経営学会第12回四国支部フォーラム」が開催され私も参加した。坂本光司先生に四国で直接お目にかかれる年に一度の機会なので、昨年に引き続き参加した。事例発表をしていただいた株式会社富久の富久社長の価値観の転換をはかることですごく幸せそうな表情も印象に残ったし、坂本先生が最近発売された「人を大切にする経営学用語辞典」についてのお話も長く多くの企業を視察された先生の深い内容に圧倒された。ピッツアリアマルブン朝生田店での懇親会も盛り上がって楽しかったが、今回は翌朝18日(火)の「FC今治里山校」の視察勉強会が印象に残ったので、そのことについてレポートさせていただく。

 

今年2月に愛媛県中小企業家同友会主催の中小企業問題全国研究集会が開催され、元サッカー日本代表の監督であり、現在はサッカークラブFC今治の運営会社「株式会社今治.夢スポーツ」の 代表取締役会長であり「FC今治里山校」の学園長でもある岡田武史氏の講演があったのだが、経営や学校教育などなど幅広いお話がとにかく面白かったので、一度「FC今治里山校」を見学してみたいものだと思っていた。

 

朝8時から始まった視察勉強会は、まず辻正太校長の学校の経営方針や現状について話していただいた。随分型破りな現在の文部科学省の方針とは真逆を行くスタイルだったが、印象に残った点を書き記してみる。

 

◎この日の辻校長の講演テーマは

「これからの地方企業に必要な人材像とその育成方法を、再定義する機会に

本日の問い/これからの地域(企業)に必要な人材とは?育てたい人材像を、時代に合わせてアップデートする」

というものだった。

今の日本の18歳の若者たちは「日本財団」が202443日の発表したアンケートによると、中国、アメリカ、インド、韓国、日本の各国の18歳のアンケート結果によると「自分の国の将来は良くなる」と信じている割合は5か国中最低、中国が85.0パーセント、日本は15.3パーセントと圧倒的な差がある。

他にも先ほどの4か国にイギリスを加えた6か国で「自分の行動で、国や社会を変えられる」という問いに日本の場合45.8パーセントと6か国中最下位、ちなみにトップは中国で83.7パーセントである。

これは日本の教育も影響しているのではないか。日本の教育を受ければ受けるほど人生のオーナーシップを失う?

という問いかけを受けた。これは現在の企業での人材教育にも当てはまるかもしれない。

人生のオーナーシップを持って生きる人を増やさなければなないと。(人生のオーナーシップとは「自身のキャリアや人生における選択と行動の主導権を自分自身が握り、その結果に責任を持つという考え方です。これは単に「自律的である」だけでなく、「自分の人生の所有者」であるという意識を持ち、主体性、使命感、熱意を持って行動することを意味します」というAIの回答)

 

◎不登校が多い先進諸国は日本と韓国。日本の不登校生徒は約35万人、自殺は520人。里山高校の生徒もかつて不登校だった生徒が1/3ほどいる。彼らは今ガンガン活動をしている。コーチ(教員)の在り方が変われば学校は大きく変わる。子供たちの力を信じ、すべてを手放していくことで本来持っている力が最大限発揮されるという考え方である。(ちなみにこんな自由な学校でも決まりごとはある。「人の成長を邪魔しない」「法律に触れることをしない」「命に関わることをしない」それ以外のグレーな部分は生徒や教員がそれぞれ対話して決めればいいとのこと)

 

◎自分で徹底的に創造し選択しながら創っていくという学校、授業中も学ばないという選択肢もある。授業中にポテチを食べたりゲームをしたりという生徒がいてもあえて指導しない。学びたくなるまで待つ、ただ、今は試行錯誤の段階ではある、最後まで信じて待つべきか迷っている。解決策は分かるがコーチは声をかけない、我慢している。それと生徒とコーチは対等な存在、ともに学びあう仲間、「教える→教えられる」関係でなくて、一緒に考える。子供たちは学園長を「岡ちゃん」校長を「正ちゃん」と呼ぶ。

 

◎1年生時に「お遍路」、2年生時に「雪山」での野外体験活動という授業がある。何名かでグループになってお遍路など56日かけて88か所の寺を回るのだが、徒歩で回る肉体的に厳しい環境下で仲間との団結心や苦難克己心が生まれるのはもちろんのこと、お接待などを受け他人の善意や好意を受けることによって、「誰かのために」「みんなのために」といった意識が高くなる。

 

辻校長の講義のあと、実際の授業の様子を見学させてもらった。歴史の授業など多くの学校教育のような「暗記科目」ではなく、おおまかな概要は教師が教え、あとは生徒が興味あることについて調べて一人一人発表するというスタイルだそうで、先生の話が終わった後、生徒たちはパソコンやスマホを使って調べ物をしていた。私は「歴史に興味のない生徒もいるだろうし、その時はどういう対応をするのですか」と聞いてみると「確かにそういう生徒はいる、ちょっとでも授業の内容に関係していたらファッションでも料理についてでも構わない」という風にしているそうだ。

数学の授業も見学させてもらったが、二つの教室に分かれていて一つは普通に先生が生徒たちに教えていて、もう一つは理解力の高い生徒が、低い生徒に教えているというもの。生徒の間で先生から一方的に内容を教えてもらうという形式を実践しているもので、中々興味深かった。

 

◎授業を見学した後で、別の先生との質疑応答があったが、「失敗という概念は我が校にはない。本人にとって失敗かどうかは今の時点ではわからない。Try and errorではなくtry and runだ。」「授業中弁当を食べたりポテチを食べたりしても止めない、そちらの方が頭がリラックスするので。しかし、カップラーメンの臭いをさせていたら周りの人の学びを妨げる可能性はある、何でも思う通りやっていい訳ではない」「放任と見守りとは違う、その匙加減は難しい、この3年間でともに学んでいきたい、とのことだった」

 

ベンチマークを終えて色々と考えさせられた。この学校の考え方は欧米流の考え方とかなり近い、しかし、アメリカの学校の多くが学級崩壊などしている現状など考えると、どのような教育が理想的なのかどうかは分かりかねる、しかし、学校の校庭にビーチバレーコートを作りたいと思って、地元の人たちを巻き込んで資材を提供してもらったり、お金が足りないと見るやクラウドファンディングで資金を調達してコートを実際に作ってしまった例など聞くと、不確実性の時代を強く生き抜く力を磨くという目的はしっかり達成できていると思った。

それと「この一見自由奔放なやり方は、江戸時代の寺子屋と似たようなものではないか」そんな考えが閃いた。明治時代以降の生徒が着座して起立後、壇上から一方的に知識を授けるというシステムは、今の時代にはそぐわないものになっているのではないか、浮世絵などで見られる緩やかな雰囲気の寺子屋の在り方が本来の日本の教育で、その原点に戻りつつあるのではないか、そんな感想も抱きながら里山学校を後にした。