石坂産業プレゼンツ「次世代リーダーを育てる人材活用マネジメント」に参加して(その1)

7月20日に埼玉県の産廃会社「石坂産業株式会社」が主催する
「次世代リーダーを育てる人材活用マネジメント」に参加した。
資源再生工場見学+里山案内+ランチ + 石坂典子社長講演会 + 懇親会といった内容で中々充実したものだった。
当地を見学し社長の講演を聞き社員さんたちに接し著書(五感経営 産廃会社の娘、逆転を語る/石坂典子著)を買って読んで、
あまりに驚きが大きかったので、何から書いたらいいたのか分からなかったのだが、
とりあえず気の付いた点から書き出してみよう。
その衝撃たるや上記の著書の中にあの伊那食品工業の塚越会長がこの会社を訪問した時、
「率直に申し上げて、私は度肝を抜かれました」
と述べていたくらいなのだから。
その前にちょっとだけ石坂産業株式会社と石坂典子社長について説明しておくと、
彼女は20歳で創業者の父親の産廃会社に経理社員として入社し、30歳で社長となったのだが、
小さい頃は「ゴミ屋の娘」などと学校では言われ、とても父親の仕事を好きにはなれず、
自分探しのためにアメリカへ留学、アメリカで流行っていたネイルサロンを日本でも開業したいと思い、
帰国後はイベントコンパニオンなどして資金をためていたのだが、心配した父親に自分の会社で働くように言われ、腰掛くらいのつもりで入社した。
しかし、やっているうちに仕事が面白くなり、しばらくして営業部隊の統括を任してもらえるようになった。
だが、1999年に所沢市周辺の野菜がダイオキシンに汚染されている報道を機に、自社に対する批判が強まった状況で「私が会社を変える」と父親に直談判し社長に就任。
中々地元の人にも理解されず、社員の4割が退社したというようなまさに悪戦苦闘を乗り越え、
2013年には経済産業省の「おもてなし経営企業選」に選ばれ、
東京ドーム3.8個分の会社の敷地の9割を占める森林を保全再生に力を尽くし、2014年に「里山環境フィールド 三富今昔村」として開業し、2016年時点で年間1万人以上が来場している。
売上は2015年は社長就任時の2倍、当時売り上げの7割を占めていた焼却事業からは完全撤退し、
リサイクル事業に特化し減量化・再資源化は業界屈指の95パーセントと見事な変貌ぶりである。
なぜ、この会社は劇的に変わり、業績もアップ、社員のモチベーションも高いのか。
1.「親の仕事に賭けてきた思い」をしっかり受け継げたからのが大きいということだ。
石坂社長が社長に志願するとき、父親にこう尋ねたそうだ。
「なぜ、この会社をつくろうとおもわれたのですか」
答えは、まだ会社が小さい時、東京湾の近くの埋め立て地がトラックでごった返す光景を見て、日本の将来に危機感を感じたこと。
そしてゴミをゴミにしないリサイクルが必要だと考えたこと。
さらに「おまえたちに、何不自由ない暮らしをさせたかった」
子どものころ食べる者にも苦労した経験から、自分の子供にはそういうつらい思いをさせたくないから、
事業を起こし成功したいと思った・・・
確かに社長の幼少時代、青春時代を振り返れば確かに「何不自由ない暮らし」を享受してきた。
その背後に、若き日の父の事業に賭けた熱い思いがあった。
心打たれ深く共感したそうだ。
創業者の思いを理解することが大事だとはいうが、私はどうも十分分かってないところがあったのだが、
今回の件で「なるほどそういうことか」と理解できた
2.社長就任後数カ月での朝礼でISO取得を宣言、協力を呼び掛けてきたところ、
社員の4割が辞めた。人材の質の高い工場を作ってやろうと、3Sを徹底させ工場を毎日巡回して、
散らかっている所、汚れている所を注意して回ったが、本音では嫌でたまらなかった。
社員のアラを探し回っているのだから。
5年たつとさすがに工場の中も片付いてみえるようになったが、社員自らの意識が変わったわけではないので、
社長の心の中では達成感などこれっぽっちなかったという。
そうしているうちに工場見学に来る方々から同業他社との比較で、「この工場は凄いですね」
と言ってくれる人が現れ、それを現場に伝えると彼らは喜び、挨拶も清掃も一層丁寧にするようになった。
要は強制よりも自発的にやる方がはるかに進歩があるのだが、最初はまず理解してもらうことが難しい。
多くの人本経営企業も最初のとっかかりをどうするかについては、「とにかくあきらめずに言い続けることだ」
と経営者は言うが、それは相当難しいと思う。
5年間毎日社員を叱り続けた石坂社長のような方は例外中の例外で普通は10回言って言うことを聞いてくれなければ、心が折れるだろう。
私はベンチマークで他社の事例を見てみるのが最善だと思う。
他社の例でも社長に反抗的な態度をとっていた社員がベンチマークで整理整頓が行き届いた職場で、
ホスピタリティー溢れる応対を受け、生き生きと働いている他社の社員を見て、
「社長の言いたいことはこれだったのか」
と考えを改めたということも聞いた。
3.石坂社長はとにかく自分たちのことを理解してもらいたくて、2億円を投じて見学者用の通路を工場内に作った。
しかし、中々見学者は集まらず、最初にやってきたのは環境保護団体で活動しているようなメンバーで、
「何か問題はないか見つけてやろう」という敵意溢れるまなざしを感じたという。
だが、初期の見学者は全国で多くの産廃処理施設をまわってきて目の肥えている方々だから、
石坂産業の取り組みが他の産廃業者と違うことも敏感に感じ取り、好印象を得た旨情報発信してくれたそうで、
それからごみ処理問題に関心のなかった一般の人も見学に来るようになったということだ。
初期の見学者は批判者であると共に、最大の理解者になった。
「冷めた無関心」よりも「熱意ある批判」の方がいい、傷つくことを恐れて批判から逃げ出すのではなく、
批判を真正面から受け止めて真の理解者を得たい、と石坂社長は言うが、これも並大抵の覚悟で出来ることではない。
私たちが訪問した日は、80人あまりの見学者が研修の前に建物の前で長蛇の列をなしていたのだが、
その前を通りかかった石坂社長は、「今日はありがとうございます」と、言葉をかけてくださったのだが、
その態度が単なる営業スマイルでも、儀礼的な挨拶でもない、実に感じのいいものだったが、
それはかつての望んでも誰も見に来てくれない、例え批判者であってもいやそういう人たちこそ、
真の理解者にできたという、苦い体験から来ているのだろうなと推察できる。
石坂社長は写真の通りの綺麗な方だが、彼女のやってきた挑戦と成果については、
私は清々しさと革命的のような凄さ、両方を感じている。
書き足らなかった点は次回へ。