有限会社エス・ケイ・フーズ報告 障がい者雇用を考える

令和5年3月14日にジョープラで愛媛県中小企業家同友会松山支部&地域共生委員会の合同3月例会が開催された。
報告者は長崎県中小企業家同友会の代表理事で、有限会社エス・ケイ・フーズ取締役の中村こずえさん、
長崎県の日本マクドナルドのフランチャイジーで長崎市を中心に12店舗を運営する飲食会社である。
以前徳島県中小企業家同友会代表理事の山城さんの会社も徳島県の日本マクドナルドのフランチャイジーだった。
同友会とどうゆう親和性があるのか興味が湧き調べてみると、
マクドナルドにはハンバーガー大学という専門の教育機関が世界9か国にあり、人材教育にはことのほか力を入れていて店長になるには必ずこのハンバーガー大学で授業を受けないといけないそうだ。
マクドナルドは均質的に見えるサービスに疑問や批判もあるだろうが、多くの中小企業が教育は、現場任せでその結果多くの中途退職者を出す状態に至っており、それよりは、はるかにましだろう。
要は働く人たちがその職場で生き生きと過ごせているかが問題なのであり、今回の報告の重点は障がい者雇用で、障がい者雇用が当たり前になることで、企業が実際に活性化していったという実践報告だった。
中村さんが障がい者雇用への取り組みに積極的になったのは、以前、他社の長崎のマクドナルドの店舗で、
障がい者を一人雇用することになったことを聞いたそうだ。
ただ、業務は掃除、ゴミ出しくらいで1日に3~4時間くらいの労働、まあ、そんなものだろうと納得した。
そして6年後オーナーがその店を手放した後、中村さんが店で見たものは、障がい者の彼がハンバーガーを焼き、
ポテトを揚げていた、何よりも楽しそうに働いていた姿だった、
中村さんは6年かかって彼を育てた店のスタッフの努力に感動したという。
中村さんの子息がとある店舗で店長をやっていたことがあり、その日は雪が降っていた。
子息は店長なので前日から雪に備えて泊まり込みで店の準備してたが、店のスタッフからは交通機関ストップの影響で欠勤の連絡が次々と入った。
1人店に佇んでいるとその店の障がい者のスタッフが歩いてやってくる、何と4時間かけて自宅から歩いて店まで来たのだという。
その日は結局お客は3人しか来なかったけれど、
ご子息は「一生この子たちとやっていこう」と心に誓ったということだ。
先週終了した人本経営実践講座は、最終講に「企業における障がい者雇用の効用」について時間を割いた。
従来は福祉や人道上の問題として障がい者雇用は扱われてきたが、法定雇用率対策と言ったものではなく、
障がい者を普通に受け入れて雇用していくことが経営面でプラスとなり、最終的には好業績がもたらされるというものだ。
私自身も、伝説的な日本理化学工業株式会社(ただし、ベンチマークは川崎本社ではなく北海道の美唄工場だったが)や、
沖縄教育出版などを訪問し、生き生きと働く障がい者の方々とその職場の雰囲気を感じ取ったものだ。
ユニクロのような大企業でも障がい者雇用の効用に着目するようになり、法定雇用率1.8%のところ、2022年はグループで4.9%の雇用率となっている。
小林先生の調査では、気配りやチームワークがよくなり、モチベーションが高められるといった明らかに好影響が出ている例が多いそうだ。
中村さんは「普通の人は3日来ればマクドの仕事は覚えられるが、障がい者は1カ月かかる。
でも、そののち40年働いてくれることを考えると十分おつりが来るでしょう」と。
本格的な人口減少時代に突入する日本で働き手の確保は最重要課題になるはずで、職場に愛着を持って働いてくれる障がい者は大きな財産となるだろう。
無論、健常者ではありえないトラブルを起こす例も多々あるそうだが、それは受け入れ側の対応次第で大抵の事は解決がつくそうだ。
(突然、大量の注文が入ったりすることがあり、アスペルガーの障がい者はパニックをおこし、大声を出し始めた。
ただ、別室に入れ30分ほどほおっておいたら落ち着いた。2回目そのようなことがあっても大声は10分で終わった。
徐々にパニックの時間は少なくなっていくだろう)
ダイバーシティ―経営を指向する有限会社エス・ケイ・フーズさんは、女性や高齢者の働き方も中々ユニークで面白かった。
何より、「障がい者雇用の障壁は私たち心の中にあります。
社員の反対が~などと出来ない理由を探すな!
やるぞと決める経営者の覚悟が大事だ」
と叱咤する中村さんのパワーに参加者は皆、気分が高揚し、
この後のグループ討論、懇親会も大いに盛り上がった。
普通、3月の例会は年度末で多くの会員も多忙で出席率も悪いのだが、今回は全く関係なく、私自身も多くの学びを得、活力を注入してもらった。
普通はここで文章が完結するのだが、今回は少し私の考察を加えてみる。
障がい者を切り捨てたりしないのは人類が元々持っている性向で、私がかつて読んだ読んだネット記事に、約20万年前のネアンデルタール人の埋葬された化石に、先天的に片目片腕の男性の死骸があったが、彼は40歳くらいまで生きていたらしく障がい者だからといって簡単に切り捨てなかったようだ。
生きていく環境がはるかに過酷だった時代でそうなのだから。
障がい者を人目に触れないように隠蔽し始めたのは、近代になってからではないか。
効率化スピード化が最善の価値とされる近代では、3日で覚えられることを1カ月かかる存在は、足手まといで仕方ない。
福祉施設に閉じ込めてお情けで生かしておくのが関の山なのかもしれない。
だが、人間は機械ではない、血も心もあるの存在なのだ。
近代の価値感とは異なる障がい者との共生のあり方についてあらためて考えさせられた一日だった。