少し遅くなったが、 自分の会社が良くなるために同友会がある~「自社は何業?」が明確になった時ピンチをチャンスに変える力となる~
と題した愛媛県中小企業家同友会松山支部7月例会がジョー・プラであり、
報告者が広島の(株)タテイシ広美社の立石克昭会長で広島県中小企業家同友会の代表理事でもあるのだが、
報告内容は中々素晴らしく多くの示唆に富むものだったので、多少まとまりはないが書き記しておくこととする。
立石さんは小さい時からサラリーマンにはなりたくない、経営者になりたいという夢をもっていて大阪で修業し、
24歳で地元広島県府中市で看板屋を開業した。
しかし、いきなり仕事をもらえるわけもなく、本業とはいいがたい家屋のベランダのペンキ塗りなどして糊口をしのいでいた。
結婚したばかりの妻にもペンキ塗りを手伝ってもらっていて「僕と結婚して後悔しとらんか」と尋ねたとところ、
「私は楽しい、塗れば塗るほどきれいになるのだから」
と答えたという。
仕事が楽しくないのは、「覚悟が足りてない」のではないか。
妻はこの仕事を主人と一緒にやっていく覚悟があったから、何事もプラス思考で受け止めたのだと思ったそうだ。
同友会に入ったきっかけは、バブル期はご多分に漏れず忙しく人が足らなかった。
募集をして人が入っても続かない、すぐ退職する、当時は辞めていく社員が悪いのだと思っていた。
こんな会社に応募してくる奴はろくな奴はいないと。
同友会は共同求人をやっていたので入会し、ある日会員に無理やり連れて行かれた会で報告者が語った言葉。
「経営者は働いている人に夢を与えること」
はっとした、以前社員に「この会社では夢が持てない」と言われたことを思い出した。
タクシーに例えてみよう。
乗務員が社員、お客が経営者、
行先を言わずに客が乗っていたら不安でしょうがない、
行先をはっきり示すのが「経営指針書」社長の独断ではなく社員と目的を共有すること。
タクシーに乗っている時酔って寝ていても、行き先が分かっていれば目的地まで連れて行ってくれる。
経営指針書の大切さを理解したのでさっそく簡単なものを作ったが、社員に無視された。
心が折れそうになったが、社員の写っている写真など入れてビジュアル化分かりやすいものを作るように努めた。
まじめな社長ほど文字と数字がびっしりの経営指針書を作るが、中々社員には理解されにくい。
社員個人のページを作って個人の夢を書いてもらった。
「なぜ、個人の夢を語らなければならないのですか」
などと質問を受けることもあった。
全社ではなく課内だけで夢を語ってもらって、社員の夢を実現できるよう早く帰れるように勤務シフトを配慮してもらった。
バブルが崩壊して看板の仕事が無くなったので、電光掲示板の仕事始めた。
「看板本業でないのですが、いいのですか?」
社員に言われた。
同友会で「何業ですか?」と問われれば「看板屋」だと答えていた。
しかし、立石さんの脳内に疑念が生じた。「そんな簡単なことか?」
1週間たって思い立った。
わが社は「情報伝達業」であると。
疑問を呈した社員に朝礼で
「うちは看板屋から情報伝達業にするぞ」と伝えた。
皆さんも「自社は何業なのか」じっくり考えてみてもいい。
例えば「美容業」を「美の道標」とするだけで随分事業展開が変わるではないか。
「いこる」は備後弁。
炭に赤々と火がついた状態(炎が消えた安定燃焼状態)のことをいう。
バーベキューをしている時、右半分がいこっていて、左半分がいこってなければ、
いこっている炭の上で焼くだろう。
炭が同友会会員らで、お肉は良い情報であり良い仕事・出会いだとする。
「いこる」ところには、必然的に良い情報・仕事・出会いがめぐってくる。
炭は一つでもいこれば、その火の周りの炭に点火するが、燃えるのとは違い、持続力がある。
いったん、いこった炭はそう簡単には消えない。
同友会活動はそれ自身を盛り上げるためにあるのではなく、
自社が「いこる」ことで同友会も盛り上がるのだ。
会員が増えると今まで地域の商工会にしか入ってこなかった情報が入ってくるようになり、
それは会員自身にとっても大きなメリットとなる。
「企業理念」や「経営指針書」がなぜ大切なのかをこれほど分かりやすい例えで説明を聞いたことがなく、
立石さんは実に優れたスピーカーではあった。
しかし、人情味にもあふれ
社員との対話はかかさないそうだが20秒間は雑談をし、すぐに仕事の話などしないそうだ。
彼らは人に言えない悩みを抱えているのだから、と言われた。
地区の幹事会でこの例会の振り返りをしたとき、今まで参加の例会で一番内容の良かった報告だったの感想も飛び出した素晴らしい例会だった。
一度立石さんの会社にもベンチマークしたいなと思った。