このツアー最後のベンチマークは豊岡市の「コウノトリ文化会館」で元豊岡市長で、現在は一般社団法人豊岡アートアクション理事長の中貝宗治氏のお話を伺った。この方は普通の人なら一生かかって一つのことを成し遂げるのが精一杯なのだが、3つも4つもの凄いことを成し遂げている。それだけ発想、企画力、行動力が並外れており、人間関係を調整する能力にも長けているという方なのだ。今回、中貝氏はお話を聞いて身近に接して感じたことだが、とにかくお話が論理的でしかも分かりやすい、理知的でありながら地方に対する思いが熱い、長文で申し訳ないが、とりあえず、お話の内容をまとめてみることとする。
◎地方は今最大の危機だ。人口減少でまちは縮小の一途をたどっている。(具体的には学校等統廃合、公共交通の路線廃止、ガソリンスタンドの廃業、地域経済の縮小、行政事務の非効率化の進行、インフラ維持の困難化、コミュニティーの衰退などなど)
まずは若者にとって「豊岡」に暮らす価値(魅力)を創造しなければならない。豊岡は小さな世界都市―Local&Global City―を目指している。人口規模は小さくても、世界の人々から尊敬され尊重されるまちを目指している。大都市との資本力の格差は歴然としている。大きさや高さや速さを競ってはならない。対抗軸は「深さ(蓄積)」と「広がり」。
グローバル化の進展で、世界は急速に同じ顔になっている。地域固有なものが輝くのだ。Local&Global というのは、そうゆうことだ。グローバル化の進展で世界は急速に小さくなっている。小さな町でも直接世界と結びつくことが可能なのだ。世界に通用する「ローカル」をめざすことだ。
◎「小さな世界都市」を実現するためのエンジンとして、
1.環境都市「豊岡エコバレー」の創造
2.受け継いできた大切なものを守り、育て、引き継ぐ
3.「深さをもった演劇のまち」の創造
4.「ジェンダーギャップ」の解消
を掲げている
◎かつて日本各地で見られたコウノトリは乱獲や環境破壊、農薬の散布などによって一旦絶滅した。絶滅前からコウノトリを守ろうとする運動が豊岡で始まっていた。その目的は、コウノトリも住める環境、すなわち豊かな自然と共生する文化をもう一度取り戻そうということだった。2005年に人工飼育したコウノトリを放鳥して以来、現在、兵庫県北部の但馬地域を中心に繁殖個体群が復活し、400羽を超えるコウノトリが全国の大空を翔けている。しかし、当初は反対の声も多かった。「人間とコウノトリとどっちが大切か」「環境でメシが食えるのか」と。特に草と虫に悩まされる農家の反対は切実だった。しかし、農家に有機農業を命じる権限など大臣にも知事にも市長にもない。農家が自らやる気になってもらいしかない。農家との対話を職員は続けた。(対話によって職員と夢を共有し、職員のやる気を活かすのがトップの仕事)
その結果、農薬に頼らない農法が確立され、コウノトリ米のブランドが確立され、流通との連携も生まれた。2023年産のコシヒカリだと30kgあたり、一般のものは6700円、コウノトリ育むお米減農薬米だと8200円、無農薬米だと11500円であり、環境と経済とは立派に成り立つことを証明した。
◎ある時から城崎温泉を訪れる外国人が宿泊客が急増した。まだ、インバウンドが騒がれる前である。2004年は649人だったが、2009年には1965人と3倍になっていた。最も多いのがヨーロッパからで591人、次はアメリカからで300人だった。これは英語圏で最大のシェアを誇る「ロンリープラネット」という旅行ガイドブックの日本編で城崎温泉は日本最高の温泉「街」だと書かれたのが大きいという。日本の温泉地では、巨大なホテルや旅館が建てられ、二次会、三次会はもちろん、土産物も極力自分のところでと観光客を抱え込み、ホテル・旅館は栄えるが周囲の街は衰退するというパターンが多い。城崎温泉は比較的小さな木造3階建ての旅館が連なっていて、7つの外湯とほとんどの旅館が半径400メートルの円の中にある。
城崎温泉は1925年(大正14年)の北但大震災で、一度は完全に灰になった。当時兵庫県は鉄筋コンクリートの建物で復興することを城崎町に提案したが、城崎の人々は猛反対し、兵庫県の案を撤回させて、木造三階建ての街並みが復活した。この時の街の人たちの決断が城崎の町の風情を高め、景観を支え今日の発展の礎となった。
外国の人たちは何を求めてわざわざ豊岡まで来るのか。日本を見たい、日本の伝統文化を楽しみたい、と思ってくるのだ。地方都市は大都市のように絶えず古いものを壊し、新しいものを作り続けることで人々を刺激して人々を引き付けることは、財政的にとても無理である。
ある建物が壊されてなくなると、そこになにがあったのか思い出せない、ということが多々ある。すべてのものを残すことは不可能だが、まちの記憶を背負って永らえてきたものを極力残すという姿勢が、やがて景観や風景上のアイデンティティーを形成し、「違い」を生み出すのではないか。
豊岡の伝統産業であった「鞄産業」も長らく海外製品との価格競争に巻き込まれ苦戦していたが、現在は地域ブランドとして日本で一番の鞄の出荷額を上げる産地になった。
これこそが「受け継いできた大切なものを守り、育て、引き継ぐ」ということである。
◎城崎温泉の端に「城崎大会議館」という収容人数が千人規模の古いホールがあった。2011年に市が施設を譲り受けることとなったが、毎年2000万円の赤字を出す「お荷物施設」で使い道に困っていたが、ただで劇団に貸し出すことにした。2014年にこの建物を「城崎国際アートセンター」(KIAC)として、パフォーミングアーツに特化した日本最大級のアーティスト・イン・レジデンスの拠点が完成した。(アーティスト・イン・レジデンス(AIR)とは、アーティストが一定期間、普段と異なる土地に滞在し、その土地の文化や環境に触れながら作品制作やリサーチを行うためのプログラム、またはそれを支援する事業のこと。)
KIACでの滞在は3日から最長3か月まで可能で、稽古と宿泊が同じ建物ででき、24時間ぶっ通しでできる、終電の心配を気にすることもなく集中して創作に打ち込める。施設の使用料は無料だが、作品の試演会やワークショップなどの地域交流プログラムの実施が条件となっているので、市民の側からすると国内外の1流のアーティストの挑戦を無料で見れるという仕組みなのである。
2021年には公立の「芸術文化観光専門職大学」が豊岡に設立された。1学年80人、学長は劇作家の平田オリザさんである。(大学ができることによる経済効果は学生が4学年そろった段階で、教員・学生・大学による消費増加額は年間約5億5500万円で、毎年国から市に交付される地方交付税の押上効果額は約5200万円と試算している)
2020年からは豊岡演劇祭を毎年行っている。2025年は9月11日から9月23日に行われ、参加64団体、72のプログラムが組まれた。(うち海外から13団体参加した)
演劇祭の間は町中が演劇祭1色になる。東京とか大都市だと文化があふれていて、イベントの最中一色になることはない。小さい都市ほど一色になるので、観客・参加者は面白いのだといこと。そして地元民と触れ合う機会も多くなる。
前出の平田オリザ氏は5年でアジアNo1、10年で世界有数の演劇祭にしたいのだと言う、こんな小都市でそれは難しいのではと中貝氏が問うと「映画祭で有名なカンヌは人口7万人、演劇祭のアヴィニヨンは9万人だ、豊岡は7万4千人だ、ちっとも無理ではない」と。
◎「演劇のまちなんかいらない」という反対意見もある。「演劇や芸術ではなく子供や市民の生活に目を向けてほしい」「演劇では立派な建物や学生寮ができてうらやましかった、しかし、人口が減って高齢者ばかりの地域の現実を見てほしい」
しかし、中貝氏曰く、言われることはよくわかるが、まちづくりには、ある事柄が「私」にとってではなく、「私たち」にとってどういう意味を持つかに関わる営みであると。
そもそも演劇がなければ、学生たちは豊岡に来なかった。大学があるからこそ先ほどの経済効果も生まれてくる。
確かに身の回りのすたれた地域、経済的困窮という現実は、まちの魅力の乏しさから若者、特に若い女性に選ばれないことによって生じたものではないか。
あるいは、演劇などという分かりにくいものではなく、もっとわかりやすい親しみやすいもので街を活性化できないものかという意見もよく聞く。
しかし、そういった題材はすでに優れた先行事例がたくさんある可能性が高い。すぐに真似されて追いつかれてしまうだろう。直ぐには理解されないものの方が、やりがいがあって面白い。先行事例として香川の瀬戸内国際芸術祭を思い浮かべてもらえれば良い。
◎「ジェンダーギャップ」の解消について
なぜ、地方に若者が帰って(入って)こないのか?
故郷との間に、男性には2つ、女性には3つの壁がある。男女とも共通なのは、「経済的魅力に乏しい」「文化的魅力に乏しい」というものだが、女性には「根強いジェンダーギャップが存在する」が加わる。豊岡でも男性に比べて女性がUターンして帰ってきてくれる割合が圧倒的に少ないのだ。女性の若者回復率の低下は若い夫婦の減少とさらなる少子化をもたらす。
ジェンダーギャップとは、社会的・文化的に築き上げられた男女の格差をいい、実際、家庭や職場、地域において男女の扱いに差が生じている。「女・子供は黙ってろ」という文化のところに、女性・若者は帰ってこない。まずは、手をつけやすいと考えられる働く職場の改革からはじめて、地域と家庭における問題はそのあとに取り組むこととした。
豊岡のジェンダーギャップの実態について調べていくと、豊岡市の性別・年代別の平均収入(2017年)を見ると、明らかに男女格差があった。しかも年齢が上がれば上がるほど格差は広がっていた。理由はおそらく2つ、一つは女性が補助的業務に従事して「出世」していないこと、もう一つは女性の非正規雇用が多いこと。このような実態を見て育った女性たちが再び故郷に帰ってくるだろうか。
ある豊岡市役所の女性職員がほぼ同じ年齢と経験年数の男性職員との職歴と業務歴を比較すると男性職員が様々な仕事を経験しているのに対し、この女性職員は住民サービス・窓口と庶務だけだった。住民サービス・窓口も庶務も大切な仕事ではあるが、女性というだけで、女性職員をその分野に縛り付けてきたともいえる。
ジェンダーギャップについて議論と検討を積み重ねていった結果、豊岡は最終的に問題点を4つに集約した。
1. 人口減少の加速・まちの衰退
2. 経済的損失
3. 社会的損失
4. フェアネス(公正さ)の欠如
1から3の言葉の意味は何となく理解できると思う。4はわかりにくいのではないか。中貝氏によると、これが実は、最も根源的な問題なのだそうだ。
豊岡市役所で初めて女性で部長になった職員が定年退職間際の2018年3月、中貝さんにこのようなことを言ったという「(合併前の旧市で)女性が課長補佐になることなど夢のまた夢だと思っておりました。(中略)幸い、自分は部長になることができましたが、多くの女性職員は、これまでさまざまなものを断念してきました」この言葉は当時何となく聞き流してきたが、2018年度末に事業所におけるジェンダーギャップ解消戦略である「ワークイノベーション戦略」を決定する前夜に急に彼女の言葉が浮かんできたという。
男性職員は結婚しても家事・育児・介護を配偶者に任せっきりにして、職場では女性を補助的役割に追いやる文化に寄りかかり、思う存分残業をし、仲間と酒を飲み、さまざまな仕事を経験してスキルを磨き「出世」の階段を上がっていった。そのくせ「女は伸びない。」と女性には補助的な仕事しか与えない、そして男性並みに仕事することを断念させていた。これはフェアとはいえないと。
2018年10月23日、市役所も参加して民間主導で「ワークイノベーション推進会議」が設立された。この年は17事業所の参加であったが、2025年には124事業所に増えた。経営者、人事担当者、女性従業員へのセミナーなど行い、女性が働きたいと思える仕事・職場への変革を経営課題として捉え、課題や取り組み、成果の共有、さらなる改善策の検討を通じて、企業価値を高めるというもので、メディアにも取り上げてもらい豊岡が注目されるきっかけになっている。
まだまだ、書き足りないことばかりなのだが、とりあえずキーボードを打つ手を休めるとしよう。「小さな世界都市」への挑戦が大きな感動を呼ぶのは、日本中の東京以外の「少子化・高齢化・過疎化」という問題が、すべての地方に共通しているからだと言えるからだろうが、単にそれだけだろうか?この文章は、当日いただいたレジュメと「なぜ豊岡は世界に注目されるのか」(中貝宗治著/集英社新書)から抜粋したのだが、前著のあとがきに韓国で湿地としての水田の保全について意見交換し、ネットワークを作るためのシンポジウムに中貝氏が参加した時の、エピソードが印象深かったので紹介する。
シンポジウムの打ち上げで突然スピーチを促され、とっさにこういった「水田は水を溜めます。溜まった水は地下に染み込み、やがて地下水となります。韓国の皆さんと私たちは、その地下水脈でつながっています。」
まずは身近な人たちと、しかしその活動がひるがえって世界中の人たちに共感を与えた、地下水脈でつながっている、いい言葉だと思った。また、豊岡に行って今回訪ねることのできなかった多くの箇所を見てみたい。











