伊那食品工業についての考察「知価革命」の流れが民間企業にまで及んできたということなのか

伊那食品工業のやり方、システムをどう考えたらいいのか?
1.本来、事業というものは、利潤を最大限追求し、そのために最適化・効率化を進めるというのは間違いなのか。
2.これは伊那食品工業に現れた一過性の偶然の産物なのか、それとも今後多くの企業が雪崩を打って追随するような変化の序章なのか
3.我々は伊那食品工業の優れた点を多くの企業に学んでいただく際に、どのようなスタンスをとるべきなのか
11月に長野県から帰ってきて1~3のような上記の疑問が頭から離れませんでした。
評価制度はほとんど機能していない、採用基準は何となく、賃金は年功序列、これは従来の企業経営のあり方をある意味全否定しているわけですから。
この目の前の現象を、どのように理解すべきなのか。
でふと頭に浮かんだ書籍が堺屋太一氏の「知価革命」(PHP研究所)という書籍。
私がこの本に書かれていることとして、歴史は常に進歩しているわけではないということ。
古代は中世より科学的・合理的思考の元、組織や統治形態が運営され、近代はむしろ古代の揺り戻しであること、
近現代の工業社会とは別な価値観は、少しずつ芽生え始めていて、例えば高度成長期には髪型にしても「慎太郎刈」や「ヘップバーンカット」のような運動性と利便性に優れ清潔感溢れるものであったのが、「公害」に代表される「成長の限界」がささやかれるようになった1960年代後半あたりから、ビートルズに代表される不便で不潔たらしい長髪が流行した。
近代の価値である機能と効率より「格好いい」という社会主観が支持されたのです。
最も、こういった動きは何百年のスパンで常に揺り戻しがあり、芸術や表現の分野で真っ先に現れ、民間事業が追随し、最後は政府など公共機関の制度が変化していく、
といった内容。
伊那食品工業は「客観的合理的なデータ」よりも「なんとなく」みんなが納得する社会主観に重きが置かれている。
堺屋太一氏が唱えた「知価革命」の流れが民間企業にまで及んできた、こういう仮説を私は立ててみました。
無論何の証拠もない推論にすぎません。
だが、こう考えると何か色んな事柄が何となく私の中では、スムーズに理解できるのです。
しかし、「知価革命」は1985年に初版がでたのですが、少しも内容が古くなってないのは凄い。
というか、読み返せば返すほど当時は理解できなかったことが改めて分かる、凄い書籍かなと。
上記1~3の疑問はまあ、まだ解けません。一生解けないかもなどと考えたりします。