「仙仁温泉 岩の湯」ベンチマーク

9月10日(火)、「壺中100年の会in長野」のベンチマークツアーで長野県須坂市の「仙仁温泉 岩の湯」を訪問した。14:30~16:30くらいの間、従業員の方に館内を案内してもらい後は2代目の金井辰巳社長の講話を聞き、あわただしいスケジュールではあった。泊まれなかったのが残念だが、それには理由がある。この旅館のことを知らない人も多いと思うので、まずこの宿のことを紹介してみよう。
◎観光地でもない交通アクセスも良くない立地はお世辞にも便利とはいいがたいこの宿屋は、1万坪の敷地にわずか客室18室ながら、客室稼働率は95パーセント以上、リピーター率は70パーセントという驚異の温泉宿なのだ。毎月1日に11か月後の予約が解禁になるのだが、たちまち常連客で埋まり、日本一予約が取りにくい温泉宿として有名である。
◎今の時代にホームページも作っていない。宿泊客から直接電話を受けた方が、細かな要望にきちんと対応できるし、ホームページを作ってしまうと、いいところばかりを書いてしまい、悪い所を隠してしまうからだということだ。館内はWIFIも通じないし、テレビも室内では奥座に隠していて、なるべく会話を中心に過ごしてもらいたいとの思いからだそうで、アナログぶりを徹底させている。
◎半面、館内は書斎や展望デッキのようなパブリックスペースが数多くあり、落ち着いて読書や考え事ができる。目まぐるしく変わっていく世の中でこそ、ゆとりを持って自分を見つめ直せる場所・・・つまり本来の自分に戻れるよう“復元”できる場所が、社会には必要だとの金井社長の想いから生まれたものである。
◎年末年始、クリスマスという旅行業界の稼ぎ時を休日にしている。その他にも女性従業員が子供の卒業・入学の時期に用事が多いため、3月中旬から4月上旬まで例年2~3週間の休みをとっている。春休みのその間は男性社員は出勤して、旅館のリニューアルなどに精を出すそうである。これも従業員が約60名と同規模の旅館と比べて倍くらいの数いるから可能なのだが、従業員を大切にしようという金井社長の考え方が見受けられる。ただ、そのためには季節や曜日を問わず常に客室が満杯になる宿を作らないと、経営が成り立たないのだがそれを実際に実現させたところが凄い。
世間一般的な常識と大きく異なる「型破り」なこの宿を経営する金井社長は、どのような人生をえてきた人なのか、記してみることとする。

金井社長は群馬県高崎市出身で、その時両親は八百屋をやっていたがスーパーマーケットの勃興で経営が苦しくなったのをきっかけに、長野県須坂市に人がやらなくなった温泉宿があり代わりにやってみないかとのすすめがあったので、7歳の時に家族と引っ越してきたという。昭和34年に創業以後は、旅館と言う仕事の特性上家族が揃って食事をとるのもままならず、生活も苦しかったため、金井社長自身も後を継ぐ気にもなれず親も後継をすすめなかったそうだ。
東京の大学で法律を学び弁護士になる夢を持っていたが、当時は色々な悩みを抱えていた。しかし、フランスの哲学者ルソーの「告白」を読み、当時、苦境に陥っていたルソーを癒したのがサン・ピエール島(北大西洋の島)だと書いていて、現代人が求めるのは、このサン・ピエール島のような場所だと気づき、「岩の湯」をサン・ピエール島のようにしようと思い跡を継ぐことに決めたという。
昭和53年に金井社長は帰省し、社業に携わるようになったが、半年後母親が倒れ危篤状態に。幸いにして一命をとりとめ今も元気だが、その時金井社長は思ったという。二度と母親に苦労はかけたくない、儲かる旅館にしなければと。当時はまだ、高度経済成長の名残が残っていて熱海や別府に団体客が押し寄せていた時代だった。しかし、その後秘湯ブームが押し寄せ、岩の湯も4~5年で満杯になってきた。勢いを得て平成元年のリニューアルを機に、家族中心の働き方から従業員20名で再スタート、腕の立つ料理長も他の旅館から引き抜いてきた。しかし、職場の人間関係がうまくいかず、当時はお客さんがフロントに来ても私語を従業員同士でしていて知らんぷりという最悪の雰囲気だったという。

自分の価値観が足元から崩れ打ちひしがれていた頃、地元の経営者の知人から「長野県中小企業家同友会」への入会をすすめられた。全く気乗りがしなかったが知人の顔をたてるために仕方なく入会したという。同友会だから経営理念の大切さを説かれ、そのことの大切さは会社内部の崩壊寸前の実情から身に染みて分かっていたので、さっそく自社の「経営理念」を金井社長は作って同友会のとある先輩に見てもらったところ、「お前の会社の社員は可哀そうだ。」との言葉をもらったという。
金井社長は言葉には出さなかったが心中烈火のごとき怒りが充満したそうだ。「9時5時で働いて土日祝日が休みのあんたらに、早朝から夜中まで働いて一日の休みもない旅館業の厳しさが分かるのか、もうこんな会は辞めてやる」
しかし、何かひっかかるものがある。同友会の掲げる「人間尊重の経営」は、誰もそれは否定できないではないか。だったら、なぜ先輩経営者は自分にその様な言葉を投げ変けたのだろうかと。必死で考えた続けたところ一人一人の従業員の顔が浮かんできたという。「人はパンのみで生きるのではない、在職中に一人一人が価値のある人生を送ることができる、そんな会社にしなければならない」と。
(金井社長はその時の心境を「心の湖の底の宝石を見つけた」と言われていた。従業員を大切に思えるようになった心境の過程は、松本楼の社長夫婦のエピソードとよく似ている)

そのために始めたのが労働環境の整備で、一般的な旅館ではありえない年末年始や春休み時期の一斉休館なのだが、根底に「社員やその家族」の幸せを起点に経営を組み立てていったのである。

上記の文章で金井社長が現在の企業理念に行きつくまでのエピソードを紹介したが、岩の湯さんの訪問であらためてなぜ、企業理念が必要なのか理解することができたのが大きな収穫だった。                

「株式会社仙仁温泉岩の湯」の企業理念は「我社は幸せをアートする」
経営理念は「我々は日本の風土に合った独自固有の理想土文化の想像を企業使命とし、社会に貢献し、人格の錬磨向上を図り事業の限りない成長と社員の幸福の実現に邁進する」、ミッションは「情けと癒しの旅文化の創造」だそうだ。部署ごとにもミッションが定められているのだが、それは割愛する。

経営理念の中に「理想土」という言葉が出てくるが、これは最初のリニューアル当時、一般的な高級旅館に岩の湯をしようと思っていたそうだ。しかし、そんなものは真似っこに過ぎないのだからうまくいくわけがない。欧米型の観光でもリゾートでもない日本型理想土(リゾート)を創り上げようと方針転換したという。
岩の湯館内は、山の斜面を利用して外に出る回廊を造ったり、あえて階段を多めに設けたりしているが、これは不足、不便、不揃いといった“不”を活かすという金井社長のアイディアであるという。「便利すぎると助け合うことがなくなる。不便なところにいると家族が自然に助け合い、家族らしさを取り戻すことができる」という仕掛けだ。

今は何もかもが便利になって当たり前になっている。昔は4km~5kmの通学路を小学生は歩いて通っていたが、車で送り迎えが当たり前になっている。豊かさの中の貧困、都会で暮らす多くの人が自分らしさを失い夢もなく、ただただ生活のために仕事に追われ、年を取っていく。しかし、そうはいっても人間は諦めきれぬものなのだ、だからこそ、人は旅をする、「心の傷、心の痛み、心の飢え」を抱えている人たちにやさしい空間、心が満たされる故郷のような癒しを提供しようというものだ。

そして、これからは「表層ニーズ」ではない、「潜在ニーズ」の掘り起こしが大切だと。これはお客様も気づいていない。(そんな例えとして二部屋予約していたお客さんが一部屋しか取れてなくて、しかし、親子の絆が強まって結果良かった話や、車いすのお客さんが最初はエレベータもない不便な設備に文句たらたらだったのが、帰る際にはすくっと立ち上がって歩いて帰っていった話を金井社長は講話の中で話された。このあたりは、ネッツトヨタ南国の横田さんのお話、「お客様満足度を追求してはいけない、お客様幸福度を追求しなければならない」と関連する部分があると思った)

話を「企業理念」に戻そう。金井社長は言う、企業経営とは銭の関係、他人の関係、だから本質的に冷たい関係なのだと。家族には「血」が、友人なら「友情」が、恋人なら「愛」が、
人と人とを繋ぐものある。結ぶものがないと強い思いがない。それなりと当たり前が横行する。異なる生き方をしている社員全員が共感できる核が必要でいかにこれを社員と共有できているかが大切だと金井社長は言われた。
多くの経済評論家や学者は、企業は金と利害が結びついた「機能体」であると説く。そう割り切って働く者が大半かもしれないが、金や利害だけではない、結びつきを深めるものが「企業理念」でこれが社員の幸福度を高める、この考えは今まで何となく中途半端に理解していた私の「企業理念」の考え方をかなりクリアにしてくれた。20年以上前に名著「ビジョナリーカンパニー」の勉強会に出席した時に、コンサルの方が「企業理念とは母のような存在であり帰っていけるような場所だ」と言われていたが、当時はもう一つ分かりかねていた。心通っている家族や友人や恋人なら、それこそ善悪を超えて信頼と安心が得られる存在だろう。金井社長の言う「理想土」と被りすんなり私の中に入ってきた。

「株式会社仙仁温泉岩の湯」の企業理念は「我社は幸せをアートする」で、これは漠然として分かりにくいとも思えるが私なりの見解を述べてみよう。
金井社長は「自己流・自己中心・自己満足、さらに事務的・形式的・一般的を仮想敵として、それをどう打破していくかを日々課題としていくこと」と言われた。これこそが前衛芸術家のような考え方であり、まさにアートではないか。
岩の湯は社員教育にあたって一切マニュアル類は用意されてないそうだ。仮に対応すべき課題が1万個あったとして、全て解決しても次の1万個がでてくるはずだという金井社長の考え方からである。だから朝礼は昨日起きた出来事に対して、それが岩の湯らしい対応であったか徹底的に議論し、みんなで深く考えることで価値観の共有をはかることとしているそうである。(他にも月1回の会議や年3,4回のリトリトミーティングなどもある)例えば、小林先生が見学したミーティングでは、昨日客室にムカデで出たというお客さんに対応にあたった女子社員が自身の独自の判断で1万円を返金したところ、そのお客さんは翌年の予約をして帰っていったそうだが、その件で翌朝のミーティングでは、そもそもお金を返金するべき理由はなかった、返金するにしても5千円で良かった、お客さんが来年の予約をして帰ったので、結果オーライではなかったのではないか等、先輩後輩の垣根を越えて活発な議論が展開されていたという。

金井社長曰く、「世間一般には、2:6:2の法則で良い、普通、悪いとする、我々は2:8:0くらいの割合で悪いを無くさなければならない、サービスを受けて「こんなもんかな」などと思われたら、そのお客さまは来年は来ないだろう、だからこそ、徹底的な自己検証が必要」とのことだった。
社員を大切に思っているからこそ、仕事に対しては妥協を許さぬ厳しさを要求するのか。マンネリの打破を金井社長は仰っていて、「たかが」を「されど」に変える、布団式敷き一つにしても大切で、当たり前でやっていると素晴らしいサービスもお客様は心がこもってないと伝わってしまうのだと。
岩の湯は毎年春休み期間を利用して、設備更新を行ってきた。老朽化への対応もあるが、時代の先取りの投資も多いそうだ。変わらない「心のふるさと」である一方で、進化し続ける施設や環境がお客様を飽きさせないといった点も多くのリピーターを惹きつけている要因なのだろう。

金井社長は「ホスピタリティ」という言葉を使わず、あえて「情け」という。それは「ホスピタリティ」は外国からの借り物であり、それを元に形づくられた施設や人的サービスは本物ではなく、日本の風土で育んできた「情けの心」を持って施設やサービスを創り上げることで、それこそがふるさととなり本物になる。という考え方である。

明日、訪問する伊那食品工業も私は2年前から極めて日本的な独自な手法にどう考えの整理をつけたらいいか、まだ模索の最中だ。従来の欧米流とは異なる独自の考え方に裏打ちされた、それこそ「日本一のサービス」の旅館の従業員の方々の笑顔に接して、何かヒントをもらったような気がした。